アイドルマスターシンデレラガールズの雑感
元記事
自分の担当アイドルを推しとみるか、コンテンツ目線で見るかというところで
このトピックの見方は変わる。
推しであればライブで(担当声優が)踊る、歌うところをみたいものであるし
担当楽曲や出演コミュが多ければ多いほど良い。
一方コンテンツ目線で見れば、「まだボイスが実装されるかもしれない」、「次こそは~にボイスをつけるために選挙を頑張る」というコンテンツ継続を望む声も多くなるのでそれがコンテンツを継続させるための追い風になるし、ライブの出演者もイベントによって変えることは「次は~が出演するだろう」という期待感をもたせることからコンテンツの継続を望むということになる。
(コンテンツの継続とは継続的な課金、関連グッズの購入等)
アイドルマスターシンデレラガールズはアイドル数が多いということは多くの人の「あなたの担当」や「あなたの推し」が
いるかもという数で勝負するコンテンツであるということがわかる。
しかし、その多くいるアイドルの担当同士も一枚岩であるわけではなく
元記事
この記事は現在活躍しているキャラとそれほど特徴的に大差のないキャラが
これ以上ボイスが実装されライブや歌に出てくれば。さらにコミュ等に出てくれば
ただでさえ現在ボイスが実装されて楽曲やコミュが町の状態になっているキャラが飽和してしまうので現在ボイスが実装されているキャラの中からでも十分あなたの担当や推しになるキャラはいるということである。
個人の考え
おそらく既存のボイスがが実装されているアイドルがいる中で、そのキャラ内の
コンテンツ自体の売り上げ、さらにボイスが実装されていないキャラの中でも
売り上げの差はかなり広がっており、コンテンツを長く継続するためには
既存のキャラだけではもたなくなったのではないだろうか。
そのため新キャラを追加してコンテンツの中心となる層の流動化を図ったと考えられる
(その中には担当声優の年齢問題もあるだろうが)
上記の記事は「今あなたがの担当(推し)ボイス未実装のキャラは現在ボイスの実装されているキャラと大差がない」という主張であるが、
現状10年以上稼働している中で初期から実装されているキャラクターは売上的にそれほど大きくないから、新しいアイドルに乗り換えるなり、コンテンツを去るなりしても問題ないということであると考えられる。
(ex.ボイス争奪選挙(2014年)の「クラスのアイドル」)
パワハラの雑感
元記事
パワハラの目的の一つとして「自分が相手より上であるということを示すため」というものがあげられる。
これはいじめの構造と同じであり、自分が群れの中でじょういであることを誇示したいという本能的なものであると考えられる。
「あいつがお前の悪口を言っていた」というのは相手に対し不信感を煽り周りから孤立させ、過度な労働で疲弊させ正常な判断能力を奪う非常に姑息な手口である。
(もちろんこれが事実ならだが)
また暴力による「指導」も問題である。これは不要な緊張生むからである。
この不要な緊張は「また殴られるかもしれない」というものであり、その緊張がミスを生みまた殴られというスパイラルに陥る。
暴力の話で言えば「吉村家」というラーメン屋の修行風景があげられる。
吉村家の暴力を伴った弟子への指導映像については「社長の真剣さゆえのものである」という意見もあるが、あの映像で「暴力への恐怖」から判断力が鈍っているがゆえに行動がトンチンカンになったといえるシーンがあるのではないかと思われる。
あの動画からみるにおそらく一部の弟子は完全に社長に「屈服/服従」しているのではないかと思われる。
パワハラをなぜしてはいけないかというのは1つの観点で言えば、「被害者の人生を悪い方向に変える可能性がある」からである。
社会性という言葉あるように社会に馴染むためには順応性が必要であるが、これは
社会人集団が形成する世の中というものにに馴染むことができるという能力を示すものである。
記事からのパワハラの件で共通するのは店主、特定の上司との狭い関係のなかで
一方的にネガティブな価値観を植え付け、洗脳をしているという点である。
なぜパワハラを受けるのかという観点で言えば社会性がないからパワハラを受けるという見方もできる。昨今のバイトテロの動画を見ればあんな奴らは殴られて当然という考えもでてくるだろう。
副業詐欺に関して
元記事
まず副業においては「権利収入」を得ることが重要になるわけであるが、
権利収入を得るには経営者、投資家の2種類しかなくかつこの2パターンも
高度な情報収集能力が求められる。(例:個人投資家と機関投資家)
さらにいえば一代で富を築いた人であれば、労働者や自営業者が及ばないほどの努力をしているものであり、決して楽して稼いでいるわけではない。
元記事にあるような詐欺広告は現在youtubeの動画の最初や途中に挟まれる
広告とまったく同様のものであり「簡単な手段で稼ぐことができる」ということを
売りにしたものである。
youtubeの動画広告はインストリーム広告といい、スキップ可能な広告(5秒以上視聴すればスキップボタンが表示される広告)は30秒以上視聴することにより広告依頼主はyoutubeに課金をすることになる。
現状で言えば胡散臭いことこの上ないものでありあんなものを誰が?と思うところではあるが「あんなもの」にさえ疑いの視線を持たない人を吊っているのであろうと考えられる。
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「働かないおじさん」に関して
元記事
効率化を進めていくとバッファまでも削除してしまう恐れがある。
そもそも人間は経年劣化するもので若いうちにできるパフォーマンスを
何十年後にできるという保証はない。
このことから考えると元の記事でこうした「おじさん」に容赦なく首を切れと
いう意見はかなり傲慢なものに思える。
テレワークというものが従来の会社という特定の場所で働くということをやめて
時間と場所の制約をなくした場合どのようになるかという過渡期ではないかと考えられる。
その中でバッファを失うのは損失につながるのではないかと考える。
「仕事のできない人間」の意見で言えばやはり効率化、成果主義は「自分がパフォーマンス不足から首を切られる」という恐怖が先行するものである。
こういった恐怖の中自分がパフォーマンスを発揮できるかは疑問である。
時代の流れにより価値観をアップデートするということが重要というのはわかるが
それがすべて正しいのかとは思ってしまうものである。
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児童書「よのなかの攻略法」に関して
元記事
例えば自己啓発本等のように「どのように生きるのが最良か?」という本は大量にでている。それを考えれば「よのなかの攻略法」はそのうちの1つに過ぎないということになる。問題としては児童書という形で出版したことが問題となったと思われる。
児童書というかたちにおいてはおそらく「子供は無限の可能性を秘めているので、
成功への道筋を限定してしまうのは子供の可能性を否定するものであるという」ことが前提となっている気がする。
本の内容を見たわけではないので断定はできないが、いわゆるライフハックの1つとしてこの本が読まれるのならば大して問題にすることではないかと思われる。
「ひろゆき」という人物が「専門家をちゃかして番組を盛り上げる」ようなエンターテイナーという存在である以上、1時の人の考え方を記したものてしての児童書でしかないということである。(例:有名スポーツ選手のマインド等)
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底辺の職業に関して
元記事
いち電気工事の業務に従事している人間から
この記事(現在は削除済み)が掲載された際に掲載元の「就活の教科書」というサイトの運営元へ憤りを感じるところではあったが冷静に考えてみればたかだか学生ライターが粗製乱造している記事に感情を抱くこと自体が非常にナンセンスと感じる。
そもそも記事の作成者や運営元がなぜこの記事の原案をみて、掲載することを許可したのかを考えなければならない。
「就活の教科書」というサイトが単純に就職、転職支援サイトへの誘導を目的としたランディングページであることを考えれば現状の仕事に満足していますか?→あなたにも年収アップのチャンスが→転職サイトへというテンプレートともいえる
そもそも実際にランキングに列挙されていた職業の経験(アルバイトならあるかもしれないが)の無い、インターネット掲示板の意見を鵜呑みにしたような記事に価値があるとは思えない。
資格がなければ従事できない作業、体力を要するもの等の要素がある時点で底辺とはいいがたい部分が多い。
どうでもいい仕事(ブルシットジョブ)が高給をもらって、必要な仕事が給料が低いのは常であり、建設業や介護職、接客業の給料を上げる代わりに人件費が上がった都合でサービス料金が上がるということをどれだけの人が受け入れられるかという観点もあるので単に運営元を叩くというのもまた考えものである。
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「社畜めう」に関する雑感
元記事
「社畜めう」に関する一種の不快感は元ネタを知らずに『~めう』という語尾を
文章に入れるだけ、あるいは『優しい人からアドバイスを受けるめうちゃん』の
テンプレート文章を焼き直しているだけに終始しており、ツイート主の社畜自慢
(自虐)が『芽兎めう』である必要がないということに起因している。
結局は社畜自慢(自虐)ネタで芽兎めうというキャラが消費されるだけで本来の「ひなビタ♪」への関心は高まることなくましてや「ひなビタ♪」内での架空の都市倉野川市と姉妹都市提携を結んだ鳥取県の倉吉市に行ったり、CDやグッズを買う、音ゲーに興味を持つなどのことはほとんどないと考えられる。
単純にインターネット・ミームと化し、パーソナリティなどがすべてそぎ落とされた「社畜としての芽兎めう」はもはや「ひなビタ♪」の魅力を知りうることができない存在であるともいえる。
しかしこのような感想を持つのはひなビタ♪を知っているものだけであり、
インターネット・ミームとして「芽兎めう」というキャラを消費している層は
別段何か思うことはないと考えられる。
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