「社畜めう」に関する雑感
元記事
「社畜めう」に関する一種の不快感は元ネタを知らずに『~めう』という語尾を
文章に入れるだけ、あるいは『優しい人からアドバイスを受けるめうちゃん』の
テンプレート文章を焼き直しているだけに終始しており、ツイート主の社畜自慢
(自虐)が『芽兎めう』である必要がないということに起因している。
結局は社畜自慢(自虐)ネタで芽兎めうというキャラが消費されるだけで本来の「ひなビタ♪」への関心は高まることなくましてや「ひなビタ♪」内での架空の都市倉野川市と姉妹都市提携を結んだ鳥取県の倉吉市に行ったり、CDやグッズを買う、音ゲーに興味を持つなどのことはほとんどないと考えられる。
単純にインターネット・ミームと化し、パーソナリティなどがすべてそぎ落とされた「社畜としての芽兎めう」はもはや「ひなビタ♪」の魅力を知りうることができない存在であるともいえる。
しかしこのような感想を持つのはひなビタ♪を知っているものだけであり、
インターネット・ミームとして「芽兎めう」というキャラを消費している層は
別段何か思うことはないと考えられる。
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